人気ブログランキング | 話題のタグを見る
働きやすい環境を。
働きやすい環境を。_c0008771_2038651.jpg

今日ははやたとせんだいのを見ることができた。おかげで今の疑問が氷解した。

彼らの 「守る」 という意識が私とは完全にずれているのが私が解せないところだったとわかったのだ。

彼らが守ろうとするのは味方だけで、その上対立する立場の人はどれだけ相手の立場が悪くなろうと自分の完璧な安全を最優先するのだ。
味方を守った上で対立する相手を共存させたり成長させたり認めてやったりして、間接的に結果的に相手も守るという意識と発想が皆無だ。
彼らせんだいはやたが味方と定義しているのは自分たちの理念に共感できるいいなりになる身内だけで、身内かどうかは彼ら自身が判断する。
要するに彼らが「われわれは断固として守る」と、声高に宣言しているのは「われわれは断固としてわれわれの決めた身内だけは完璧に守る」ということだけなのだ。
だからあの時せんだいさんは「本当なら警察を呼ぶところだけれど、職員の中にあなたを知っている人がいるので警察は呼ばない」と言ってくれて警備のあださんに預けてくれたのだと思うと合点する。ありがたい、せんだいさん。
確かに自分が強くないと自分と味方を守れない。だけど自分が傷ついて相手をも守ろうとは彼らは絶対にしないし、より多くの人を守ったり、日常接する相手をあえてまで助けようとはしないし、対立する人を助けるという行為をする意識もまったくない。
自分が賢くなってその際に得た知識のおこぼれをやって、その感謝の気持ちを自分たちの理念の味方にするのが郷土自慢のげすとしかんだ。相手と一緒に賢くなるとかじゃなくて、権力としてとりあえず私が知識を得ますので、それであなたは助かってください、という立場ではやたたちはお客さんに説明しようとするので説明の最中に大事なものが欠落しているのに気づかないのだろう。あなたと一緒に精一杯でいいのに、自我をもって先回りしておこぼれをやろうとするからはやたの話はおもしろくないのだ。
要するに守る守ると彼らが言って、結果ただ守ろうとするのは、優秀な女性従業員がいるとすれば辞められて成り立たなくなるのが困るのでその労働条件をやさしくして女性従業員が辞めないように職場を「守る」という意識しかなくて結果それがそれぞれの人が持っている意思の集合体として、至極当然な成り行きだったんだろう。
せんだいとはやたの守るに関する意識は私と相容れない。どっちがいいかは人による。私ははやたとせんだいみたいになりたくない。それがわかった。ありがとう。
by premiertack | 2015-02-10 21:15 | 日常の出来事
<< ダメなやつだらけ。 京都うとうと眠くなる。 >>