走る喜び夢を乗せてく、輝いて風になりどこまでも(仮)。
己の為に足を守りぬけて、伸びるのであれば、
蹄鉄を何度も打ち付けるのもやむなし、なのか。

だいたい、陰口を叩くから普通の場で逃げるだけなのじゃないのか。
影で、あの大風呂敷野郎とか言うてるのが染み付いているから、
実際に目の前で一瞬揺らいで止まって、風呂敷野郎が悪い、だ。
あるいはそれとも、信念や主義なのかとも疑問に思ったりもする。
殿方の三歩後ろを歩き、三つ指をついて、
という主義なのであれば、それはそれで有難い。
新たな世代に対しても、女は受身が信条であって、
本当に好かれて助けられようとすれば黙っていても世は開ける、
それが適わない、ということは相手の力がないのだ、と、伝り継ぐのか。
私は、それを守り通すために人生を捧げてきた。
今でも現に一生分でもお釣があるリクエストがあるのが証明だ。
と、仮定をしてみても、実際それでも私は構わないのではある。
そうなれば取りに行くし、取れぬなら叶わぬということが残る。





しかし、今日はわからないのが残っている、明日朝一番というものだ。
あれは何だったのか。もうわからん。名詞だけのものもわかりにくい。
20日に服装もその他要素はあった。けれど、少し前に21日以降と音があった。
これでいいのかっていうのもわからん、私自身もわからん。
客観的に観られないのでわからないことが多い。
何で早いうちに否定も指針も意向もひとつも感じれんのかがわからん。
違うほうがいいのか、利用されているだけなのか。
無理なのに試されているだけなのか、さっぱりわからん。
ここまで来て、こると仮定してもどんなのが出るかも自分ではだいたいわかる。
自信のあるものではない。いいのかもわからん。筋が通っているのかもわからん。
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by premiertack | 2007-04-06 21:26 | 思う事 | Comments(0)
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