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土岐兼成。
休日前あたりから久しぶりにせつなくて胸がどきどきするようになりちょっとしんどかった。
まあでも、振り返ってみたら20歳くらいまで毎日こんな感じでせつなかったなあと当たり前に思い出した。

今、あのときのことを思うと、やりたかった、やったらどうなるのか、
自分だけ遅れている、だまされてみんなに抜け駆けされてる、友人がどうも信じれない。
こんな感じを思い出す。

結局大なり小なりで、今は小なんだけれど同じ様な感じだなあと、考える。
いろいろ考えると私も現状自信もだいぶん喪失しているし、
後悔の噴出頻度もめげるくらいはある。
でも、後悔って言ったって、あのときやれたかもしれん、
やれるのをみすみす逃している、誰ともできなくなる一歩を踏んだ、
あのレベルの人とも丁寧にすればできた可能性があった、
この程度の後悔以上の、後悔がないのが現状のせつなさの原点でそれ以上もない。

冷静になって考えれば、心はしんどい状態が素直に感じているらしく、
タバコすいたくなったりするけど、前向きに仕事のために控え気味にもできる、
すばらしい前向きさがある、のか。

最近読んだ、一投にかける溝口和洋最後の無頼派アスリートによると、
競技者の素質(?)に身体的技術的な素質と精神面の素質があって、
ただ素質があるかどうか、聞かれても種類があるっていうのが面白かった。

圧迫面接とか流行ったけれど、それって危機対応力を見るのでなくて、
しんどいときの一時しのぎを、長期短期でどう処するか見るだけで、
結局平時に、建前ばっかり言って機転とか丁寧をおろそかにする人は、
危機時にも念仏のように建前を言ってうわべだけになるのじゃないの。
普通のときに、不自然な自信を持っている人は、危機時あぶないとか、
普通のときに気が利くから、苦しくなっても周りを見る余裕があるとか、
そういう目とかで、面接はできなかったわけ。あんまりいうと自分も???だけど。
ともあれ、20年前の人事の人を見る目のなさとかは今もかわらないのだろうか。
人工的な危機なんて、本物の危機くらいに心を通わせて救いの願いで動けるわけ。
精神面を見るのに圧迫面接で判断をしようとしていた時勢の人を見る目のなさ。が。

なんか、ちょっと主観が出てきてしまった。最後のほう間違ってるかも。
あーあ。愛の納豆が食べたい。
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by premiertack | 2016-09-25 00:02 | 世の中の話題
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